黙れ
どうせ読まないくせに本を買った。大して外にも出ないのにアウターを買った。
もうろくに言葉も出ない。
言葉が出ない
#D2D0E8
すこし寒いなと思いながらビールを飲んでいる。深夜にパソコンの前に居るのは落ち着く、私はずっとこうしてきたから。
色んなことを苦しいと感じてきたけど、最近は私が苦しいのは私で居ることに耐えられないからなのだなと感じる。良い悪いではなく、私は私の在り様を許せないし、私はいま在る様にしか在れないのだ。生きていく先が見えなくて困ってしまう。
昔あった楽しかったこと、暖かかった記憶を反芻する。私はたくさんの人に助けられて、支えられてここまで生きてきた。みんな本当にやさしかった。
誰もかれも自分を生きていくしかない中で、出会う人たちに、関わっているその瞬間だけでも向き合い、気持ちを砕くことは本当に尊いことだと思う。
私はたくさんのやさしい人たちに助けられて生きてきた。心から感謝している。
最後の最後の最後に、私は何を考えるのだろうか。
主題歌
インプットが無いからアウトプットが無い。物を考える頭が無くなっている。
部屋着がすりきれていることにずいぶん長い間気づかなかった。いろんなこと、身に付いた習慣で片付けるだけで生活していけるから、気持ちのひだが無くなっていく。自分の小ささや汚さを自覚する。
「全部が悲しい」と嘆いていれば解像度は下がり、グロテスクな現実に直面せずに済む。私自身に起因する不快感を、自分の周りをぼんやりと包むもののせいにする。私は間違っている。
5月の頭から深夜帯の仕事が入っていて、2日前にようやくそれが終わった。
眠気が来ない方が便利だからと意図的に夜型の生活にしていたけれど、仕事の期間が終わると今度はなかなか戻せなくなってしまった。人間らしい睡眠時間からずらすのは簡単だったのに、なかなか難儀なものだなと思う。
布団に入ってからしっかりした眠気がやってくるまでの時間がとにかく苦手で、最近は眠たくなるまでずっとスマホを見て過ごすことで誤魔化していた。
眠気を呼ぶためにも睡眠の質のためにも良くないことだという知識はあるけれど、それ以上にぼんやり何かを考えてしまう、頭の中にいろいろなものが浮いている感覚が大嫌いだった。何も考えたくないのに、何もしていないときの私はずっと考えてしまう。
今日も寝つけるまで布団の中に居ようかと思っていたけれど、なんとなくそわそわしてしまって、こうして文章を書いている。
高校の時からの友人が結婚したそうだ。もう籍は入れていて、今度結婚式があるからと声をかけてくれた。
高校を卒業してすぐの頃、友人4人と毎日のように会っていた時期がある。彼はその中の一人だった。私は卒業が半年遅れていたから、秋口の寒くなってくる季節、夕方から終電まで。
それぞれ生活がうまくいかなくて、くすぶっていて、ひどく苦しかった。あの頃の気持ちを表現するすべを今の私はたぶん持ち合わせていない。今の私では耐えられないくらい、いろんなことを考えて感じていたんだと思う。
みんなで苦しいなあしんどいなあと言いながら、広場も無い駅前の隅っこに座り込んだり、ゲームセンターやバッティングセンターでぼんやりと時間をつぶす日々だった。みんな一人で居たくなかったんだろうと今になって思う。
結婚する彼は「さびしさの解消のため」の結婚でもあると言っていた。若いころは声をかければ毎日のように飯を食ってくれる友人たちが居たけど、歳を重ねるとそうもいかなくなってくる。そういう存在が欲しかったという面もあると。
週に5日、6日のペースで会ったり、2時間も3時間も電話していた頃を思い出した。彼が今ここに居られるようになるまで、いろんなことがあったのだろう。
私もいつかどこかに辿り着くのだろうかという考えが少しよぎったけど、今どこに居るか、何があるかも分かってないのに考えることじゃないなとすぐに思い直した。
仕事ばかりで生活に関わることを何もできていなかったから、明日はいろいろ用事を済ませたい。日中起きていられるといいな。
底を見せる
害の無い球体の中に住んでいる。
私を傷つけるものは何もない。真っ白でやわらかい壁に包まれて、穏やかに過ごしている。たまに昔あった嫌だったことを思い出して、馴染みぶかい落ち込みの中で膝を抱える。私を傷つけられるのは私だけだ。
ずっとずっとそうしている。
人はそれぞれの中に、水をたたえる場所を持っている。
それはみずうみくらいの広さ、深さのものかもしれないし、海くらい広いのに、水たまりくらいに浅かったりするかもしれない。すごく狭くて深い、穴のような場所を持つ人もいるだろう。
たたえている水の感触や温度も気になる。透明度や、光を返す色だって違うだろう。水に手をひたしてみたらなにか分かるだろうか。泳いでみたら、潜ってみたら。
水たまりの底はどうなっているだろうか。なめらかでやわらかい砂泥の人もいれば、足をつくのも怖いような、ごつごつとした岩場で埋まった人もいるだろう。
底をさらうと、何が出てくるだろう。私たちの底には、何があるのだろう。
だいたいのことが自分とは関係が無くて、それでもすべてと関係を切ることは難しい。だれのことも全然わからない。私は何も見えていない。
ようやくしっかり切り離された自分と他人の、つながりのあまりの心細さにめまいがする。怖い怖いと思い続ける、怖い怖いと言い続ける。いつまで続くのだろう。ずっと人が怖かった。
少し寒い朝の電車の中、何も考えられないまま揺られていた。考えなければならないことも、考える前にしなくちゃいけないこともたくさんある。でも、もう全部どうしようもなくなってしまったような気がして、流れていく景色だけを眺めている。
いつまで妄執のような思いにとらわれ続けるのだろうか。生きていること、生きていくこと、おとぎ話や絵本を読んでいるような感じがしてしまう。私はただ流れていく、どこまでもどこまでも進んでいく。
大きな音で歌の無い音楽を聴く。娘のために作ったとどこかで読んだことがある、とてもやさしい曲。音から感じる悲しみも苦しみも、すべて私のものだ。
意味が分かりそうで分からない歌を宝物にする。私の隙間に埋まるようにした。
井戸は枯れたものしか見たことがない。もう悲しい気持ちにはなりたくない。重ならない言葉が宙に浮いて、私の方をじっと見つめている。
ライター貸して
青すぎる夏の空の正しさに参ってしまったあと、私に勝手に参られる夏も空もたまったもんじゃないだろうなと思った。
「この世の誰も私のことを気にしていない」という誰かの言葉を「そんなの当たり前じゃない」と鼻で笑った人の孤独について、ときどき思いを巡らせる。私には想像もつかないような一人をたくさん越えてきたのだろう。鋭さと鮮やかさ、さびしさ。
好きな友達たちが死んでからもう何年も経つ。命日に友達の吸っていた煙草を吸う。その友達のことを想う時間は本当なのに、自分のためでしかない行為がすこし悲しい。私の感じるわざとらしさは、白々しさはなんなんだろう。あなたたちのこと本当に好きだったんだよ。
部屋の白い壁を見つめながら、私が消えてなくなるのを待っていた。意識が薄れることもなく、からだがほどけることもなく、どうやらこのやり方ではなくなれないらしい。
叫びだしたくなるような気持ちが生じて、叫びたいことは特にないから、ああああと叫ぶイメージをする。私からしてもうるさいし迷惑だと思うから、実際には叫ばない。頭の中を文字と声のイメージで埋める、他になにも考えないでいられるように、苦しい感じが薄まるように、ああああ、ああああ、ああああ。すこしでも自分から遠ざかれたらいいのに。
どうしようもないことはどうしようもないまま、どうしようもない気持ちもどうしようもないまま、過ぎていくのを待つしかなかった。待っていても過ぎていかないものもあるから、それが溜まっていってしまって、うずたかい澱が私のすぐそばにある。なにも考えていたくない、タバコを吸いたい、ライター貸して。
高く遠く
咳をする人の背中に手を当てる。手を当てながら、私の手はその人に咳を出させている部位や内臓までは届かないから、あんまり意味はないんだろうなと思う。
それとおなじように、いくら話をしたとしても、その人がこれまで過ごしてきたすべてに触れることはできない。
ただ、いま咳をしている人の背に手を当てる。いまのその人が少しでも辛くないように。
そのときどきにしか生きられないのなら、そのときどきに向き合っていたい。
怖くても攻撃する必要は無い。誰かを殺さなくても生きていていい。
どれだけ辛く感じても、全部壊れてしまうことはそうそうない。壊れてしまうとすれば、それは私が壊してしまうとき。切迫した気持ちを巻き起こすほどの熱量はずいぶん前に失ってしまった。
さまざまをまともに受け止めることができなくなって、私はずっとずっと遠ざかっていく。
肩の辺りを虫が這っているような感覚が無くならなくてひどく不快だ。
言葉が気持ちを吸い込み過ぎて文字からインクが流れている。恥ずかしくて指で隠そうとしたら擦れてにじんでしまった。なんにもうまくいかなくて情けなくなる。みんなができていることができないのは恥ずかしいけど、歳を重ねるにつれ慣れてきた。私はこんなものなのだ。
消しゴムをかけすぎて穴を空けてしまっても、新しい紙は用意してもらえない。最初にもらった紙だけで済ませなきゃいけないこと、教えておいてほしかった。
彼岸と此岸で違う地平を見る。苦しんで死ねと免罪符のように自分に言い聞かせる。高く遠く、高く遠く。
あまぐもくんのこと
もうずいぶん前のことだけれど、あまぐもくんという子とTwitterで知り合ったことがある。
何がきっかけだったかは覚えていない。私は(今以上に)とんでもなく暗い、自意識しかないようなツイートをし続けていて、あまぐもくんは自分なんて無いような、とてもさっぱりした、でもどこかさびしいツイートをする人だった。
いいねはお互いに押していたけれど、直接リプライを交わしたことは数回しか無い。だからあまぐもくんについて知っているのは断片的なことばかり。私の一つ年下で、バイセクシャル、性自認はたぶん女性、GRAPE VINEと小説が好き、普段何をやっているかいまいちよく分からない。いつもなんとなく辛そうだった。
当時私はTwitterのアカウントを作っては消し、作っては消しとよくあるメンヘラムーブを繰り返していたのだけど、あまぐもくんのことはアカウントを作るたびにフォローしなおしていた。苦しい気持ちは私以上にあるだろうに、それを他人事みたいに書いて、自分の感情なんて無いみたいに振舞うあまぐもくんに興味があった。
共通点もほとんどなかったけど、お互いいつ死んでもいいと思っていたような気がする。
いつだったか、何かのきっかけであまぐもくんもアカウントを作り直したとき、互いにフォローもフォロワーも1人になった時期があった。それでもお互い相手に向けた言葉はほとんど発さずに、宙に向けて言葉を放り続けた。やっぱり私はねばついた、あまぐもくんはさっぱりした言葉だった。
その時だったか、私に「落ち込み方が似ている」と言ってくれたことを覚えている。
お互いしかフォローしていない状態はだいぶ長く続いていたけど、いつの間にかどちらかがアカウントを消して終わったような気がする。
そもそもあまぐもくんは、あまぐもくんじゃなかった。Twitterの表示名も違っていた気がするし、私の電話帳には16という名前で登録してある。
いつだか私がとんでもなく落ち込んでいた時に、電話に付き合ってくれたことがある。私がなんて呼べばいいだろうと尋ねると、あなたの好きに呼んでほしいと言った。そんなこと言われるとは思ってなくて、Twitterで他の人が彼女をそう呼んでいたから、とっさにあまぐもくんと呼ぶことにしてしまった。電話で何を話したかもほとんど覚えていないけど、今でもたまに、他の呼び方をできればよかったなと思うことがある。
あまぐもくんは何年も前にアカウントを消してしまって、それ以来連絡を取っていない。
今どこで何をしているだろうかと、たまに考える。そもそもそんなに話したこともないから、また話したいと思うわけではない。
でも、どこかに居てくれたらいいなと思う。またあまぐもくんの言葉を見られたらいいなと思う。すこしでも苦しくなくなっていればいいなと思う。