主題歌

インプットが無いからアウトプットが無い。物を考える頭が無くなっている。

部屋着がすりきれていることにずいぶん長い間気づかなかった。いろんなこと、身に付いた習慣で片付けるだけで生活していけるから、気持ちのひだが無くなっていく。自分の小ささや汚さを自覚する。

「全部が悲しい」と嘆いていれば解像度は下がり、グロテスクな現実に直面せずに済む。私自身に起因する不快感を、自分の周りをぼんやりと包むもののせいにする。私は間違っている。

 

5月の頭から深夜帯の仕事が入っていて、2日前にようやくそれが終わった。

眠気が来ない方が便利だからと意図的に夜型の生活にしていたけれど、仕事の期間が終わると今度はなかなか戻せなくなってしまった。人間らしい睡眠時間からずらすのは簡単だったのに、なかなか難儀なものだなと思う。

布団に入ってからしっかりした眠気がやってくるまでの時間がとにかく苦手で、最近は眠たくなるまでずっとスマホを見て過ごすことで誤魔化していた。

眠気を呼ぶためにも睡眠の質のためにも良くないことだという知識はあるけれど、それ以上にぼんやり何かを考えてしまう、頭の中にいろいろなものが浮いている感覚が大嫌いだった。何も考えたくないのに、何もしていないときの私はずっと考えてしまう。

今日も寝つけるまで布団の中に居ようかと思っていたけれど、なんとなくそわそわしてしまって、こうして文章を書いている。

 

高校の時からの友人が結婚したそうだ。もう籍は入れていて、今度結婚式があるからと声をかけてくれた。

高校を卒業してすぐの頃、友人4人と毎日のように会っていた時期がある。彼はその中の一人だった。私は卒業が半年遅れていたから、秋口の寒くなってくる季節、夕方から終電まで。

それぞれ生活がうまくいかなくて、くすぶっていて、ひどく苦しかった。あの頃の気持ちを表現するすべを今の私はたぶん持ち合わせていない。今の私では耐えられないくらい、いろんなことを考えて感じていたんだと思う。

みんなで苦しいなあしんどいなあと言いながら、広場も無い駅前の隅っこに座り込んだり、ゲームセンターやバッティングセンターでぼんやりと時間をつぶす日々だった。みんな一人で居たくなかったんだろうと今になって思う。

結婚する彼は「さびしさの解消のため」の結婚でもあると言っていた。若いころは声をかければ毎日のように飯を食ってくれる友人たちが居たけど、歳を重ねるとそうもいかなくなってくる。そういう存在が欲しかったという面もあると。

週に5日、6日のペースで会ったり、2時間も3時間も電話していた頃を思い出した。彼が今ここに居られるようになるまで、いろんなことがあったのだろう。

私もいつかどこかに辿り着くのだろうかという考えが少しよぎったけど、今どこに居るか、何があるかも分かってないのに考えることじゃないなとすぐに思い直した。

 

仕事ばかりで生活に関わることを何もできていなかったから、明日はいろいろ用事を済ませたい。日中起きていられるといいな。