なくなる

2021.12.27

 

11月いっぱいで仕事の繁忙期が終わり、ぼんやりできる時間が増えた。後回しにしてきたいろんなことを考えたいような気持ちだったけど、なかなか思いの先の焦点が合わない。なにかを考えなくてはいけない気がする。なにかはなんだろう、私はどんな風に考えていただろう。

人と会ってお酒を飲んでみたり、大切な海に行ってみたりした。瞬間瞬間になにかが私の中を通り過ぎていくけれど、やっぱりとらえきれない。うれしくても悲しくても泣きそうになっても、それらが辿り着く先がわからない。

ここ数年、自分が薄まっていくような感覚を持っていた。思考の鈍麻は年々強まっていくその感覚を保証するかのようで、自分がどこを向き、どこへ向かおうとしているのかがますます分からなくなっていく。

 

11月、高校時代の友人の命日を忘れていた。10年以上経つが、忘れてしまっていたのは初めてだった。全部風化していく、私が風化させていく。

 

「自分探し」のとどめとして、岡山にライブを見に行くことにした。好きなアーティスト二組が出演することが大きかったけど、どこか遠くへ行きたいという気持ちを消化するためでもあった。

ひとり旅は昔から好きだった。知らない街で、地に足の着いた生活をしている人たちの波の中で、自分だけが宙ぶらりんの感じ。私を知っている人は一人も居なくて、すごくさびしくもなるけど、そもそも私はひとりだったんだということを実感する。

ライブの数日前に急遽行くことを決めたから、準備は宿の予約ぐらいしかしなかった。昔一度見た瀬戸内海がとてもきれいだったから海を見に行きたいなと思ったけれど、私はきっと行かないんだろうなとも思った。

 

行きの新幹線は空いていて、駅で買った文庫本をぼんやり読んで過ごした。昔はこういうとき自分で文章を書いていたなと、岡山駅に着くころに思い出した。

全国的にとても寒い日だったけど、岡山は晴れていて暖かかった。暗くなり始める少し前、ホテルにチェックインする。毎年友達の命日に吸っていた銘柄のタバコを吸いたい気持ち半分、時間を持て余すことへの怖さが半分で喫煙の部屋を取った。

どうしようもなくひとりの街の、どうしようもなくひとりの部屋。水を飲んですこしぼうっとする。テレビをつけてすぐ消した。煙草を一本吸ってノートにすこしだけ文章を書いた。昔のように溢れ出すことは無く、絞り出すように言葉を繋げた。

 

ライブハウスへの道は大きな通りで、イルミネーションがきれいだった。年末の休みに入ったり、仕事をおさめたりしたのであろう人々で溢れていたけれど、通りを進むうちに街灯が減り、薄暗い雰囲気になっていく。ホストクラブやキャバレーの看板、古びた居酒屋。中国人の女性からカタコトで声をかけられる。「お兄さん、マッサージどうですか。かわいい子居ますよ」。黙って通り過ぎる。彼女たちの人生を少し考えようとして、すぐにやめる。想像を巡らすにはあまりにも知らなすぎて、失礼な気がした。

 

ホストの顔写真が並んだバカデカい看板の張り付いた建物、その4Fがライブハウスだった。遠方の私でも何度か名前を見たことのある、結構大きな箱だ。住所氏名の提出と検温が義務付けられていて、コロナ禍のライブハウスの苦労が垣間見えたような気がした。

スペースを空けて椅子が用意されていて、開演30分前には半分くらい埋まっていた。真ん中くらいの席に座り、1drinkで頼んだやたら甘いシャンディガフを飲みながら開演を待つ。

ライブは2組とも素晴らしかった。ライブを見るのも久しぶりだったから熱量も音量も心地よくて、全部を感じたいと思った。体全部が感覚器みたいになって、音や表現を知覚しようとするあの感じ。奥の方まで震えが伝わる感覚。

 

終演後、ぼんやり歩いて帰るとき、よろこびとさびしさが交互に胸をよぎった。地元のライブハウスから帰るときの感覚と変わらなくて、どこまで逃げても私は私なんだと知らされる。思えばいつも旅の終わりは、自分からは逃げられないということに納得したとき迎えていたような気がした。自分への失望と納得、諦観、受容。

帰り道、行きに声をかけてきたのと同じ女性が呼び込みをしていた。ずっと外に居るのだろうか、寒いだろうなと思う。自転車に乗った外国人と酔っ払いがぶつかり、外国人が平謝りしていた。ひとりひとりの人生で溢れてしまいそうな街を、泳ぐこともできずにぼんやりと浮かびながら帰る。

飲食店に入る元気もなく、コンビニで軽食を買ってホテルへ帰った。風呂に入り、タバコは吸わずに眠った。私はどこまで行くのだろう。どこに行きつくのだろう。

 

なんとなく、薄まっていたのは自分ではなく、自分がこれまで関わってきて、私の中に生かしてきたひとびとだったのだと思った。

他人へ向けるまなざしを閉ざしてしまって、自分の濃度ばかりが上がっていく。私は私とだけ生きていくことは、おそらくできない。誰か私を私から遠ざけてほしいと叫ぶ。

どこまでも続く、ただ続く。